発達障がいは『できる・できない』『得意・不得意』なんかの目に見える特性の部分に注目されがちですが、
発達障がいの人の持つ手帳が『精神障がい者手帳』のように、
『精神障がい』と名付けてもらう方が、どちらかと言えばしっくりくると感じたりします。
(名前が与えるイメージがちょっと怖いけど)
その理由は、発達障がいの特性(脳機能の特性)そのものよりも、
それによって引き起こされるうつ症状や強い不安、疲労感、強迫観念、トラウマ、自己価値の低さ、劣等感、感覚の過敏さなどの『精神的な苦しさ』の方が、自分自身や日常生活、人生に影響を与えるからです。
だからこそ、二次障がいを引き起こさないために、特性に合わせた環境調整や周りの理解が必要なんだよと、確かにその要因もあるし、当然そうなのですが、
『ただ生きてるだけでメンタルが沈んだり、自分の感覚に苦しんだり、精神や気分の波はやって来る』という自分自身の内的な気質要因、過敏さ、その人が持つ精神構造のような根本的な生きづらさがあるので、
『環境調整・理解される』と『生きづらさが解消して楽になる』は確かにそれもあるけど、完全なイコールではないと思います。
発達障がいと精神障がいを別々として存在させる方が理解が深まるし、説明もつくので、障がい者手帳もそれぞれあった方が良いんじゃないかなと思ったりします。
環境調整や周りの理解を得ることは、心身の状態を悪くしないため、命のために大事なことではあるけど、
発達障がいや精神障がいは、『環境ありき』ではないし、単純にハウツー論や原因と結果を結びつけるだけでは解決し切れない複雑さがあると感じています。
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(我が家の物語です。ぜひ読んで下さいね😊)


