娘のはな(27)が小学生でうつになった時のお話し。
娘は、小6の夏休み明けから行き渋りが始まり、運動会が終わった後、完全に不登校になりました。
そして日に日に、体調や精神状態が悪くなっていき、発する言葉や表情、振る舞いもどんどん様子が変わっていき、以前の様な子どもらしさが消え、
『人格が崩壊した』
そう感じるほど、何もかもが変わってしまい、出来ていたことも出来なくなり、命の危機を強く感じるほどでした。
最初は、娘を小児科で診てもらいましたが、様子がひどくなるのを見て、明らかに小児科ではないことを感じ、
当時勤めていた職場の方に紹介してもらった、子どもの心を診てもらえる病院へ娘を連れて行き、そこで発達障がいの診断を受けました。
発達障がいについては、私も保育士をしていたので、多少なりとも知ってはいたのですが、
娘の場合は、発達障がいで知られがちな『得意不得意』『集団生活に不適応を起こす』などの、能力の凸凹に問題があるというよりも、
娘自身の感受性、感覚の過敏さによって、人や自分自身への認識、解釈が歪んでしまい、
さらに傷つき体験によって、その歪んだ思考や思い込みが強化され、
強い自己否定や人間不信になってしまっていることの方が強いように感じました。
そこからの数年は…
うつ、フラッシュバック、過食拒食、自傷行為、薬の過剰摂取と、精神の嵐が吹き荒れる日々でした。
精神が不安定な子どもとの生活は、親の気力も体力も必要で、あの頃の私は、突然始まる嵐にいつでも対応できるようにと、
毎日きちんと身なりを整え、化粧をし、生活や食事、家の中の雰囲気を悪くしないように、乱さないように整えたりと、
自分自身を律することで、自分に喝を入れ、娘の嵐に一緒に飲み込まれないようにしていました。
しかし、娘の状態はどんどん荒れて、落ちていく一方。
うつ状態がひどい時は、ベッドから起き上がることもできず、当然お風呂にも入れないので、
台所の湯沸かし器で頭を洗ってあげたり、お風呂に入れる日も一緒に入り、サポートをしていました。
アップダウンがある激しい心の嵐で、弱りきった娘の身体に触れていると、
まだまだ子どもの心と身体に、どれだけの痛みや苦しみを与えられ、この子はそれに耐えているのだろう…
そう思うと、
『こんなことを味わせるめに、私はこの子を産んだんじゃない』
と何度も思い、その度に悲しくなったり、悔しくなったりしていました。
不登校から2年が経った娘が中2の時。
この年は一度も学校に行けず、娘曰く、精神が一番苦しかった年で、もう終わりにしたいと、今までのお礼や謝罪の言葉を、私や弟たちに綴った手紙を書いていました。

この手紙は数年経ってから、娘からもらいましたが、
私もさすがにあの時を思い出して苦しくなるので、部分的にしか読んでいません。
この年に娘の中で起きていたことのほとんどは、後から聞きました。
娘自身も、後になって言語化することができた部分もあって、今思うと、本当にまだまだ子どもの精神で、あの苦しみをよく耐え抜いてきたなと、そう思います。

(我が家の物語です。ぜひ読んで下さいね😊)
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