昨日、もう15年もお世話になってる精神科クリニックの通院日だったのですが、
そこで、若い女の子とお母さんを見かけて、その女の子の表情や様子を見てると、何だか昔の娘はな(27)との日々を思い出しました。
精神疾患独特の、温度を感じない存在感、闇の雰囲気、感情をコントロールできない不安定さ、表情が消え、目つきに輝きがなく、生きるエネルギーも枯れてしまい、
この世の次元とは違う場所に行ってしまって、もう何も通用しなくなってしまった…
そんなあの時の娘の姿。
思い出したというか、そんな単純な記憶ではなく、あの時の空気感や体験してきたことが、私の細胞から蘇ってきた感じで思い出したって感じかな。
実際、精神的に不安定な状態の人って、外から見ると、
『不機嫌』『自分勝手』『関わりづらい』『甘え』『依存』『わがまま』
とか…
『こだわり』『自傷行為』『物を壊す』『暴れる』『命を経つ行為』など、色々な形で、問題行動として扱われたりするけど、
本人の内側では、どうにもできないほど感覚が混乱していたり、絶望感や不安や過敏さでいっぱいなのだと思う。
あの時の娘もいつ何時、私の言葉や振る舞いで、スイッチが入って爆発するか分からない状態だったので、
あの当時はずっと、自分を律して、緊張感をもって接していました。
だけど、それでも完全には防げなくて。
やってしまった自分に、取り返しがつかない事をしてしまった罪悪感や怖さに襲われて、お風呂場で泣いたりもしていました。
だけどあの時の私は、関わりが難しくなった娘に対して、魂が悲鳴をあげそうなくらいの痛みや怖さを感じていたけど、
魂の底から娘を守りたい気持ちもあって、この両方が同時に存在していました。
自分の娘だし、他人なら距離を取ればいいけど、
愛情があるから逃げ切れないし、見捨てられない。
こういう状況になってしまった子育てに対して、親や家庭の問題だ、責任だと思う人もいるだろうし、
もちろん虐待や環境の影響も否めないケースもあるだろうけど、
私は、こういう状況に陥った子どもに対して、何でも責任や原因が親にあるという解釈を前提に持っていると、
その子自身の気質や感覚、感性、捉え方、感じ方、何を心に溜め込んできたのか、今その子がどんな世界の中で生きてるのか、
そんな本質の部分を無視するような、知ろうとしないまま、表面的な関わりで過ぎてしまうような気がして、
もう、1から娘を知り直すつもりで、自分の感覚や価値観を捨てて、娘に飛び込みました。
今でも私がしてきたことは、胸を張って言えることではないし、
これが正解だと言い切れるような確信なんて、何ひとつもないけど、
『良い悪い』『筋が通った正しさ』『常識』だけでは届かない、
逆にそれを求めることで壊してしまう領域があることを知りました。
なかなか人には理解されない状況だから、孤独な戦いになるけど、
この状況から逃げたくないなら、やるしかないし、やるなら自分が納得できるような、前向きになるような、力が湧くような解釈を採用して、やっていくしかないんだと、
今でもそんな風に思って、子どもたちと過ごしています。
そんな昔の日々を思い出した、精神科クリニックの通院日でした。
じろ(24)が作ったおからハンバーグ↓

私が作るより美味しかった。
また作ってね😊

(我が家の物語です。ぜひ読んで下さいね😊)


