私が離婚したのは、今から14年前の6月7日。
この日は金曜日だった。
市役所が閉まる土日を挟むと、色々考えてしまいそうだったので、金曜日のこの日に離婚届を出すと決めて、
当時保育士としてパートで働いていた保育園に、離婚届を持って出勤した。
この離婚届は、私と元旦那が話し合の末に書いたものではなく、半分、ケンカの延長で書いたものだった。
ケンカして離婚届なんて、あまりにも突発的で無計画で感情に任せた軽率過ぎる行動に聞こえてしまうだろうけど、
実はたろが生まれた年、夫婦の間で大きなもめ事が起き、私は子どものことができなくなってしまう程の精神の地獄を見たので、
次に同じようなことが起きれば、その時はもう離婚になるだろうと思っていた過去もあって、私は本気だった。
そしてその今回は、子どもたちにまで良くない影響を与えてしまっていたことが何より一番の理由としてもあり、
もうこれ以上、一緒に暮らせないと思った。
この時すでに、我が家の長女はな(27)は不登校、引きこもり、精神疾患な状態から2年が経っていて、
長男じろ(24)も学校の行き渋りが始まり、次男たろ(19)も、保育園の担任の先生から、園生活で気になる様子を伝えられていて、
私は、歯車が狂い始めた子どもたちへの対応を抱えている状態だった。
そこに、旦那の色々な問題までもが再び起き、そんな旦那を理解しようとする努力や、子どもたちに父親への理解を強いることも出来ないと思った。
とにかく、限界を感じたのだ。
お金のことや生活のことは、簡単な約束しかせず、ほとんど無計画な状態。
だけど、絶対に守らなければならないのものへの優先順位を考えると、まずは子どもたちの家庭環境と、私の精神状態を守ることだと思い、
後に起きる問題は、その都度どうにかしていくしかないと覚悟して、今すぐ離婚して離れることを決めた。
保育園の仕事を15時で終えたこの日、実家の母にたろの保育園へのお迎えを頼み、私は、市役所へ行くバスに乗った。
そして市役所で、離婚届けを提出した。
婚姻届を出した時も、同じこの市役所で、確かこの窓口だった。
あの時は私のお腹に娘はなが居て、私の母と2人で一緒に出しに行ったことなんかを思い出した。
あっさりと、離婚届が受理された。
決めた決意を振り返らないように、こうして勢いで市役所に来たけど、
15年間という夫婦生活の中で、2人で重ねてきた時間や思い出も当然あって、
こんな紙切れ1枚で終われてしまうことへの味気なさや、寂しさ、悲しさなんかが、ふと込み上げてきた。
市役所から家に帰ると、はなが熱を出していて、床をはうように、四つん這いになって部屋から出てきた。
かなりしんどそうだった。
そして6月7日のこの日は、実は私の35歳の誕生日でもあった。
私の誕生日は、離婚した日にもなってしまった。
決してネガティブになる日ではないけど、6月7日は自分の誕生日というより、
『離婚した日』としての印象が強く残ってしまい、今でもあの日を思い出してしまう。
やっぱりそこは、ちょっと残念だったかなと思う…

(我が家の物語です。ぜひ読んで下さいね😊)


