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『問い』は『悩み』とは違う。

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問い』は『悩み』とは違う

なんじゃそらって感じですが、私は何かふと気付くとか、湧き出すとか、そんな感覚になる時があって、

そういう時はその言葉や文章をメモしたり、ブログがすぐにかける時はその勢いで書いたりしているのですが、

昨日のブログを書き終わった後に↓

不登校、引きこもり、精神疾患な子育ての中を生きてこれた理由。
3人の我が子たちが不登校、引きこもり、精神疾患となり、当たり前に送っていた日常生活が崩壊したのが今から14年前。ストレスに弱くて劣等感や比較も感じやすくて、すぐにブレブレな精神状態になって、嫌な事があるとすぐに放り出したくなる根性なしの私が...

『問い』についてふと気付いたことがあったので、それを綴りたいと思います。

はい、ではでは、

私の経験からの話にはなりますが、

悩みってあれこれ頭の中で考えますが、問いは考えるのとは違います。

問いへの答えは、考えた結果みたいなものではなくて、

自分の内側から深い納得や気付きみたいな、そんな一致感があるものです。

そしてここがポイントで、問いへの答えは、自分のあり方や自分がどの方向に向いているか、それが明確に定まっていて、その中で起こる困難ごとへの問いをした時に、自ずと答えに出会うという訳です。

これは自分自身の内側から出てくる場合もありますが、人の発した言葉だったりと外から出会う場合もあります。

自分の中に答えがあると分かる感覚が起こる理由も、問いの答えには自分の内側との深い一致感を感じるからなのです。

まとめると、問いへの答えと出会うためには、まず自分のあり方と向く方向が定まっていること。

私のこの時の場合で言うと、

・いちから子育てをやり直す。

・どんなことがあっても私が最後まで責任を取る。

・私や子どもたちのどんな感情も痛みも引き受ける。

・子どもたちの方を向いて生きる。

・今ここを生きる。

ここがベースとしてありました。

あの当時の過酷な子育てを、3人それぞれの悩みごとを抱えたまま日々を送っていたら、精神的にも肉体的にも限界が来て、多分生きていくのは難しかっただろうと思います。

だから私は、問いからの答えに助けられて、ここまで生き延びて来ました。

まぁ、生き延びてきた今も、私の出番は少なくなったと言えども、色々ありますがね😅

謎が解かれたその日から 発達障害の3きょうだいとお母さんの物語
わが子3人が発達障害の診断を受けた。 振り返ると、不登校、主張の激しさ、マイペース…疑問がいっぱいで悩みの多い子育て。特性を知ったことで、その謎が解け、子どもたちがどれだけ不安や苦痛、混乱や葛藤の日々を送っていたかに気づく。 そこからはじま...

(我が家の物語です。ぜひ読んで下さいね😊)

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