6年前、私は障害者雇用で、清掃員の仕事をしていた。
この仕事、個人プレーな仕事なので、特性的には自分に合っていたけど、肉体的なところでは本当にキツかった。
清掃をお願いされてる範囲が、勤務時間内でこなせる仕事量じゃない。
しかも、
「脚立に登ってあの高い窓も拭いて」
とか、
「会社の入り口の写真を撮るから、汚れ一つないように綺麗にしといて」
とか、容赦なしの注文をしてくるのだ。
って、今回は、この清掃の仕事の愚痴を書きたいのではなくて、この職場にいた管理職の女性が話していた言葉について、ふと思ったことを書きたいのでございます。
この管理職の女性は確か50代後半で、私と同じ娘1人、息子2人の子どもがいて、3人とももう自立して巣立っているそうなのですが、
就職して遠方に住む息子とは、電話であれこれよく話しをするそうで、
そんな息子の存在を、
「息子はペット」
なんだと、そう他の職員と話しをしているのが聞こえてきた。
息子はペットのように可愛くて、癒しで、愛くるしい、そんな存在。
私も同じように、息子は可愛い。
母性という母性が全身の細胞から溢れ出てくるような、そんな存在。
だから私も、この管理職の女性の感覚はとてもよく分かるし、うんうんとうなずきたくなる言葉だった。
で、この「息子はペット」発言。
これって、社会的にも肩書きがある人が母親で、しかも息子が立派に自立出来ているから、
「息子はペット」という発言も、
「息子ってそれほど可愛いんだね〜」
「愛情たっぷり受けて来たから立派に育ったんだね〜」
で、周りの反応も終わりそうだけど、
これが『発達障がい』を持っていて、『境界知能』という知能が足りていない母親で、息子たちが不登校、引きこもり、精神疾患というこの状況の私が同じ発言をすると、かなり問題で、ヤバい母親という反応に絶対なるよね。
同じ感覚でも、誰が言っているかによって問題にもなるし、正解にもなる。
同じ感覚でも、結果によって問題にもなるし、正解にもなる。
そんなことを頭の中で思いながら、モップや掃除機、雑巾、スポンジ、便器ブラシ、バケツ、ゴミ袋を抱えて、時々隅っこから出てくるゴキちゃんに悲鳴を上げながら、猛スピードで任された清掃をこなす、清掃員の私でした。
ちゃんちゃん。
私が小学生の時の給食で大好きだったおかず↓

今でも大好きで大好物✨
沢山食べれて嬉しい〜😊✨️


